石巻です
実は昨日更新したものが400回目でした。早いものです。東北での二日目は仙台のホテルから石巻へ向かいます。石巻は宮城県で2番目に人口が多い街です。今回はこの街で平成3年から障害福祉事業を営む社会福祉法人石巻祥心会のひたかみ園を訪問。ここも、海岸から近く、被害をうけたが、たまたま水の侵入がなく、緊急避難所として多くの被災者を受け入れたそうです。グランドもあったので、ヘリコプターの離着陸場となり、運ばれた人たちへの介助など障害福祉の枠を超え携わったそうです。震災が起こったその日から、法人事業所6か所を避難所として解放。地域住民150人、利用者とその家族180人、のちに、別の入所施設を開放し、40家族80人を受け入れる。また、別の避難所で過ごすことが難しい障がいを持つ方々を日赤を通して受け入れる。その後、各避難所を訪ね、障がい者のケアや、食料の提供を行ったそうです。実は、震災で、この法人自体も理事者2名、職員1名、利用者1名の命を失っています。また、その家族などは多数。グループホームも3棟が壊滅状態。乗用車は多数廃車となっています。そういった中、「地域に支えられ20年、今こそ恩返しをするとき」という思いから活動を続けたそうです。かなりの財産を注ぎ込んだようですが、理事長さんは、「新しいものをつかむ為には今持っている物を壊さないと掴めないんだ!囲うな!必要なところへ必要なものを渡せ!」との気持ちから多くの方々を救うきっかけになったそうです。その後、日本財団から緊急に1億6千万円補助を受け、福祉避難所を開設。建てる時も資材やプレハブが入手できず、中国から直接買い付け40戸を開設。毎日毎日、支援を休むことなく続けていったそうです。
ここで、2年経った今、ひたがみ園職員が思うこと。
・自分の家族の安否が分からないので仕事が手に付かなかった。
・利用者だけでなく職員も精神状態が良くなく適切な接し方ができなくなった。
・一瞬の判断で命が助かるかどうか強く実感した。
・被災した自分の家を見に行ったのは1ヶ月後だった。
・母親が停電のため、痰吸引ができず、誤嚥性肺炎で危篤となった。
・災害に対応できる立派なマニュアルがあっても、起きた時に最良の判断ができる決断力が必要であると感じた。
・利用者の状況にかかわらず、個別対応は厳禁。一番安全な選択とグループで決めた行動をとるべき。
などなど。 もし福岡で起こったら同じようなことが必ず起こるでしょう。話をじかにお聞きすることでき、災害の大変さを実感した。
その後、追波川仮設住宅を訪問。ここでは昼食をいただきながら仮設入居者の実際のお話をお聞きしました。
やはり高齢の方ばかりです。向こうから3番目の方(遠藤さん)がよく説明くださったのですが、この仮設が6か所目だそうです。毎日、何をするのかなどが決まって無く、このままではいけないので、「おがつ華の会」を結成して、昼間、集会場でパッチワークなどして作品を作り、販売をしているそうです。もともと仮設は2年間で出ることができ、復興住宅などに移り住めるはずであったそうですが、石巻には十分な土地がなく、また、売ってくれる地主もいるがそれでは十分ではなく、土地が無いので仮設からみんな出られないそうです。自分だけ良ければ、という気持ちは皆さんには全くないということは肌で感じました。その後、仮設の中を無理言って見せた頂きました。
玄関です。2重ドアになっています。以前は1枚だけだったそうです。寒かったでしょうね。
夫婦お二人で2Kの間取りです。一番の問題はとなりの声などがよく聞こえることだそうです。最近、皆さんは何も言わなくなったそうですが以前はトラブルの一番の原因だったそうです。早く、小さくてもいいので一戸建ての建物が建つことを願います。その後、門脇(かどのわき)小学校、女川、雄勝(おがつ)を訪問。雄勝では何も無くなってしまった街に命を吹き込む為にイベントが行われていました。仮設の商店街が開設されていて、多くの人で盛り上がっていました。
でもやはり、元役所の方に聞くと平日はあまり人は来てくれないとのこと。移動中だったので買えなかったですが、御食事処 洸洋さんが売っていた大きなホタテ貝がとても美味しそうでした。通販で注文してみようと思います。「洸洋 雄勝」で出てきます。
そして、大川小学校に向かいました。
多くに犠牲者がでた小学校です。堤防が決壊し、想定外の状況となった。
裏山です。慰霊碑が建っています。私自身、二人の小学生の親として、元PTA会長として、
震災前に戻って危険が迫ることを教えたい、ただそれだけです。
これで2日目が終わりました。3日目は次回更新でお伝えします。
やはり実際の写真は、いろんな事が伝わってきます。
特に大川小学校の写真は、青空と校舎がとてもせつなく
胸が痛みます。
400回プログ更新…凄いです。どれも中身の濃い内容で
続ける事って浜崎議員の力になり、私たちの心に響いてます。
これからも頑張ってください。
400回、まあ、よく書いたほうですかね、自分では。昔からあまり読書などしないほうだったので。
大川小学校では自然に子供たちの迷っている姿が目の前に浮かんできて涙が出ました。また、仮設住宅は一時的の住まいならよいですが・・・・・・ 義捐金はどこにいっているのか?今はがれき処理も大切だが人のケアをもっと見つめないといけないと思いました。